尺八は楽器であると同時に伝統芸能でもあります。
伝統芸能は多くの場合、流派というものが存在します。
特に演奏人口の多い流派2つを紹介します。ここに紹介する流派以外にも、いろいろな流派があり、それらの流派は今から取り上げる流派に比べ、演奏人口が少ないというだけであって、流派に優劣はありません。
あるのはそれぞれの流派の考え方や演奏する曲、場合によっては楽器も異なることもありますが、それらに伴う個性の違いです。
流派やそれぞれが演奏する楽曲について否定する方がたまにいますが、私はどの流派が優れているということは決してないし、他者の否定は間接的に自身の否定になってしまうことも多く、また建設的でもないので嫌いです。
琴古流
江戸時代の半ば、黒沢琴古によって開かれた流派です。
当時の尺八は、普化宗と呼ばれる禅宗の一派が尺八を吹いていました。この頃、尺八は「法器(ほうき)」と呼ばれ、一般人は演奏するこなどが禁止されており、普化宗の僧侶の特権でした。更に虚無僧は関所を通ることもできたそうです。
当時の日本では関所は現在の国境と同じような扱いで、関所を通ることはとても大変なことだったといいます。
そんな中、関所を通ることのできる虚無僧は特別な存在だったわけです。
しかし、実際には虚無僧と身分を偽り、国境を超えるような無法者もいたそうで、現在でいう反社会的勢力のような存在だったとも聞きます。このような輩が荒々しい演奏を行ったことが、今日の尺八のイメージを作ったのかもしれません。
当時、禅宗の一派が虚無僧として、それぞれの寺に伝わる楽曲を演奏していたそうです。
これらの曲を集めて流派として確立したところから、現在の最も普及している尺八の文化が生まれました。
これ以前の虚無僧の音楽も残っているし、それよりもさらに古い尺八の音楽もあると思いますが、2020年現在において最も普及している尺八の形態は、この琴古流を起源としていっても過言ではないと思います。
仮に上記のような過程が正しいとしても、だからといって他の流派よりも優れているとか、この流派こそが本物である、というような言い方は私は嫌いです。
ただ、私は琴古流で尺八を始めて、都山流もかじったりした結果、琴古流の吹き方が好きだなと思っていますので、自分は琴古流の尺八吹きであることは間違いないと思います。
都山流
都山流は、明治時代の初期、中尾都山によって開かれた流派です。
琴古流は虚無僧の音楽を集められて始まった流派であったのに対し、都山流は地唄や箏曲などの合奏にも力を入れ、五線譜の要素を取り入れた楽譜を作成したり、新たに本曲を作曲するなどの挑戦を行っています。
現在の尺八の地位を確立したとも言えるし、それまでの禅の尺八を壊したとも言えるかもしれません。
新しい文化、革新的な進化(場合によっては退化)には必ず光と影の両面があるので、人によっては否定的な見方もあるかもしれません。
私に言わせれば、新しいものを否定して古いものを肯定したがる人は、その古いものは更に古いものからすると新しいものである、ということについてどう考えているのかを聞きたいと常々思っています。文化も流派にも優劣はありません。
話が脱線しました。
尺八としての新しい挑戦もさることながら、流派として組織化し、また、尺八を体系化したという点が一つ大きな功績なんじゃないかと思います。
体系化することによって、学ぶ側としては一つづつ試験や課題をクリアしていくことで、一歩ずつ成長していくことができるわけです。
その結果、現在ではお家騒動に発展してしまったりなど、負の側面も出てきてしまっているようです。
現在の尺八界では主流派であることは間違いない事実ですので、新しく尺八を始め用途思ってくれる方に対して、ネガティブな影響がないようにだけはしていただきたいものです。
あと、私は個人的には免状などに興味がないのですが、そういった資格試験に対してお金がかかりすぎるのは、如何なものか?と思っていたりします。
流派の垣根を超えて
尺八には他にも竹保流や上田流、その他にも、どの流派ともまた違った独自の文化(消えゆくギリギリの物も多い)を持った楽曲や文化など、多くのものがあります。
私はそれらすべてを知る事もできないですが、これらの文化が次の世代に残らなかったとしても、それぞれが良いものであると思いますし、残ったものが必ずしも良いものであるというわけでは有りません。
ただ、残るからにはなにか他とは違う理由はあるとは思います。
個人的には尺八は流派の枠にとらわれず、流派の垣根を超えて、いろいろな楽曲を知り、演奏方法を学び、情報交換を行っていくことが、今後の尺八界の発展へとつながっていくと思います。